何年経ったって相手のことなんてわからない。
昔からそう思ってきたけど、どうしても譲れないことがあった。
その考えは、人として当然だとか普通だとか思っていた自分がいた。
けれど、どうして自分はそんな事に拘ってるのだろう?
そう考えた時に、なんだ自分も普通じゃなかったんだと分かったら、何だか可笑しくなった。
同じ境遇で育った私達は、互いに欠如してる部分は同じだと気づく。
相手の事は理解しようという気持ちはあっても、自分と向き合うことなんてしなかった。
私は、無意識に欠如した部分から、相手に理想を掲げていた。
相手も、その部分を持ち合わせていないのに。
その事実が私達にとっては当然であり、普通なんだ。
ずっと悩んでいたことが、腑に落ちた。
とても複雑な気分になった。
それが私達の普通にしてしまっていいのかな。
理想を掲げていた事は、欲だった。
そんな理想なら捨てなくちゃ。
じゃあ、相手の事受け入れられるかと聞かれたら、きっと無理・・・。
でも、今はそうあってほしくないと相手のために思う。
それも当然とか、普通とか、自分の定義で決めてるのと同じ事なのかな。
ちょっと考えすぎかも・・・。
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いいのいいの、完全に自分の思い通りじゃつまらないじゃん。
その中から違った答えを探していくのも悪くないと思うよ。
俺も嫁のおかげで物事を違った角度で見れようになったかなぁ。